Just a Reminder

記憶の吐き出し口として、やや長めの作文のような備忘録。

茹だるような過去――気に入っている漫画と漫画家さんの話(2)

2記事目に着手するも寝ていた。寝苦しくて起きたから、細々と続きを書く。

 

先週の金曜日、「Webちくま」で鳥飼茜さんの連載が始まった。

毎月第一・第三金曜日に更新だそうな。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1380

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1381

 

鳥飼さんの生活が仔細に描かれる。まるで彼女になったかのような感覚を味わってしまう。恋人に嫌われたくなくて精一杯生きる者として。子どもと対峙する、一人の母親役割を担う者として。または、漫画家として。この瞬間に生きる者として。

 

彼女は毎日をギリギリのバランスで保ちながら暮らしていた。彼女の漫画から想像できる以上に生きづらそうだったり、または生きることを楽しんでいるようにも見えたり。

誰でもそうだけど、主観的な生活の善し悪しは、刻々と変わっていく。

 

いくら編集が入っているとは言えここまで公開して大丈夫なのか、と頭によぎるが、かく言う私自身もTwitterで散々自分の生活を公開している。

私に隠さなければいけない秘密なんて殆どない。あっても、他人を信頼して話してしまう。そんなもんだ。

 

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はてなブログの「ブロガーチャレンジ」に「5年前の出来事を書く」というお題がある。

5年前は、現在の私の基礎みたいなものが完成した頃だ。

 

 

その年の春、ばあちゃんが亡くなった。

ばあちゃんのことを思い出すと、後から後から沢山の記憶が雪崩れ込んでくる。

 

ばあちゃんは横浜の"山"の方に住んでいた。

最寄り駅に降り立つと早速坂を登って、階段なども登ってその後坂を降りて、やっと辿り着くと、私はいつもインターホンを押しまくる。

本当はインターホンを押さなくても、母が鍵を持っている。でも、押しまくる。多分普段なかなか押せないものだから、それに私が来たことを知らせたかったから。

 

ばあちゃんは私のことを本当に可愛がってくれた。じいちゃんも私にはとても優しかった。2人とも、もういない。

 

学期休みの度に遊びに行くと、いつも4人で色々なところに遊びに行った。

特に多かったのは鎌倉で、北鎌倉から江ノ島方面まで本当に色々なところに行った。じいちゃんは1日1万歩を目標にしていたので(雨の日など部屋でうろうろしているじいちゃんをばあちゃんは煙たがっていた。)毎回沢山歩いた。当時まだ小さかった私には、なかなか大変なことだったけど、後方でぺらぺらと喋っているばあちゃん・母を置いて、じいちゃんの後ろを必死に付いていった。ばあちゃんからすると、そんな私が健気に見えたらしい。

 

他にも、みなとみらいではお買い物をしたり、野毛山動物園のらくだ・ツガルさん(ツガルさんも2014年に亡くなっている。悲しかった。http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/nogeyama/details/tsugaru10.php)に会いに行ったり、「杉の木」というパエリアのお店(これもいつの間にか閉店していた。)に行ったり、とにかく色々である。 

上大岡(小さい頃の私は「かみおおおか」を「かみおおか」と呼んでいた。ばあちゃんが微笑んでいた。)の映画館で『相棒Ⅱ』を観た時には、来場者プレゼントの「神戸尊ポストカード」のみならず、別の時期に貰えた「杉下右京ポストカード」もくれた。その頃(season9)から、私は相棒を好きになった。それまではばあちゃんに勧められても観たがらなかったのに。もっと早く好きになっておけば良かったと思う。

 

出掛けられない正月などは、家で坊主めくりをした。掛け金はないが沢山のお菓子を貰えた。子どもは私しかいないのだから、総ざらいである。

 

 

ばあちゃんには嫌な思いもさせた。特に、従姉妹の悪口を言ってしまった時のばあちゃんの顔は忘れられない。

歳を重ねれば重ねるほど、私は生意気で傲慢で。それでもばあちゃんは私に対しては温かかったと思った。

 

ばあちゃんは極めて人間臭くて、沢山悪口も言うし、彼女自身も色々な辛さに堪えてきたようだった。私はばあちゃんの口から聞く悪口を、特に親戚に対する悪口を聞き逃すことに苦労したけど、それでもばあちゃんにとって母は数少ない相談相手だったんだと思う。

今思えばもっと私も聞いておくんだった(後悔なんていくら積んでも切りがない)。

 

 

ばあちゃんが死んだ時、または暫くの間、私はばあちゃんの死を悲しめず、ごたごたする事後作業に巻き込まれた。今でもばあちゃんが死んだことにどういう感情を抱いているのか、自分では分かりきれない。

でも例えば今、私が仲良くしている同期や先輩たち、またはお世話になっている研究者が亡くなったとしたら、私は凄く悲しいし泣いてしまうかもしれない。

何故あんなにも近かったばあちゃんの死は嘆けないんだろう。

 

・・・・・・そんなこんなで、私は今ばあちゃんの死を1つの理由として論文に取り組んでいる。とても漠然としていて、何を掴もうとしているのかすら分からない。

 

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ばあちゃんの話だけで記事一杯になりそうだったが、同年付き合っていた人と別れ、何故別れたのかいまいち掴めず苦しくて仕方なかった。

他人のことも理解できないし、他人への気遣いや想いが空回りすることを身に染みて分かった気がする。

 

他人と関わる時、今でも自分を上手く伝えられなくて苦労する。無駄に態度はでかいので、嫌な思いをさせているかもしれない。

でも、どうして良いか分からない。

 

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楽しいことも良いことも沢山あった。

今から振り替えるとどちらかと言えばまずは苦しい記憶が沸き起こる。

 

空元気で頑張る様子も描いて見せる鳥飼さんを見た時に、何故だか私の存在自体を問われた気がして。

 

もう少し明るく生きられる日は、いつ来るのだろう。まだ暫くは迷宮の中だ。