Just a Reminder

記憶の吐き出し口として、やや長めの作文のような備忘録。

場所に記憶を埋め込む(1)

先日、あるローカルチャンネルのドキュメンタリーを見ていた。多分、再放送だ。

途中から見たのだが、内容をよく覚えている。

 

古賀絵里子さんという写真家を取り上げていた。

彼女の高野山での活動や、彼女が写真家として名を馳せる原点となった(という)『浅草善哉(ぜんざい)』の老夫婦との想い出が語られていた。

 

ゆったりとした時間の流れるドキュメンタリーであった。

 

 

ドキュメンタリーの中で彼女は、その老夫婦の住まいだった浅草の長屋に訪れている。

 

お隣さんから古い扉の鍵を借り、静かに中へ入る。

うっすらと埃が積もった1階には、老夫婦の過ごしたカウンターがある。ゆっくりとそのカウンターに触れた彼女は、過去をじっくりと味わっている。

 

2階の畳部屋には窓があり、彼女はそこから目の前の通りを眺めていた。

 

 

その時の彼女は明らかに、場所に埋もれた記憶を思い返していた。

 

 

場所に記憶を埋め込むのは、他でもなく私たち自身である。

 

そのような行為は、それ以外の他者にとっては些末なことだろう。そんなことして何の意味があるのか、と。

または、その“センチメンタル”とも意味付けられる行為は、他者から敬遠されるかもしれない。

 

それでも私は、場所に記憶を埋め込む、その行為を楽しみたいし、場所から記憶を思い返す、そんな他者の姿を見ているのが好きだ。

 

想い出を反芻すること。

過去の経験やその時に関わった人たちと、再び出逢える絶好の機会。

 

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この記事がナンバリングされていることからも想像できる通り、場所に埋め込んだ私の記憶を、今後も不定期ながら思い起こしていきたい。